バネを持っているビートルズのポスター
先日、あるカフェでコーヒーをいただいた折、ふと壁を見るとビートルズのポスターが飾ってあった。
そこには当然、4人のメンバーがいるわけだが、ちょっと変わった写真だった。
4人のうち3人が手のひらサイズ(直径150mm、長さ200mmほど)のバネを持っていて、うち1人がチューリップほどの大きさの植物を一輪持っている。
衒学的(げんがくてき)なことを意図したのであれば、アイテムは何でも良い。それぞれが全く別の類の物を持っていても、「芸術とはそういうものだ」で済まされる。
しかし、この写真は、”3人が同じもの”を持っていて、”1人だけ違うもの”を持っている。「はて、写真家は何を意図してこういう画にしたのだろう?」と考えてしまう。そのシュールさが芸術なんだよ、と言われても、そうか~?と疑いたくなる。
コーヒーを飲みながら考えてみる。その店の豆や淹れ方が良いからなのか、それとも私の体調が良いからなのか、理由は分からないが、とても美味しい。
そうこう、ぼんやりしているうちに思いつく。勝手なストーリーを。
写真家は思った。この4人はとても勢いがある。例えるなら生命が一斉に芽吹く春のような力強さ。この世界に多大な影響を与えるセンスの琴線に触れてみたいなものだ。と。
そして、4人にこう言ったのではないだろうか。
「Please bring a relevant thing to "spring" in your image for promotion photograph tomorrow.」
私は英語が得意ではないので、こういった言い回しが正しいのかはさておき、「明日、宣材写真を撮るから、春を連想するもの持ってきて」と写真家が言ったとしよう。
日本語の「あめ」のような同音異義語が英語にもある。
春を持ってこいと指示したのに、75%の大多数はバネを持ってきたのだ。
4人の多忙さを考えると、あまり時間がないので、写真家はあきらめて仕方なくそのまま撮影したという結果。
私の勝手な妄想だが、そう考えると笑いがこらえられなくなってしまった。
言葉を使うことはとても難しい。情報量が少ないと伝わらない、多すぎると相手が混乱することもある。真意がちゃんと伝わる言葉をいかにシンプルに発するか。その課題に耐えたものが、洗練された言葉となるのだろう。
そんな言葉を使う人間になれたらいいなと思う。と同時に、自分の文章を見返すととても不安になる(苦笑)